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 著者の服部龍二さんは、国際政治学者で中央大学の教授です。主に日本外交、東アジア国際政治史を研究されています。

 広田弘毅をご存知の方は、意外と少ないようです。広田弘毅は、東京帝国大学を卒業後外務省入省し、外務大臣から第32代内閣総理大臣になった人です。彼が総理大臣になったのは、昭和11年(1936年)です。第二次世界大戦に日本が突入する直前の総理大臣です。そして、いわゆるA級戦犯となり、極東国際軍事裁判(東京裁判)で軍人以外で唯一、死刑判決を受けました。

 広田弘毅を知っている方は、城山三郎が『落日燃ゆ』という小説で読まれたことがあるかもしれません。日本人の広田弘毅に対する印象は、この小説で作られたもののようです。

 筆者は、学生の頃この小説を読んで感銘を受けられたそうです。小説彼受けた広田弘毅の印象は、「軍部に抗したはずの広田が意外にも戦争責任を問われ、東京裁判では超然と黙して死刑判決を受け入れたものの、その内面は人間味にあふれており、無類の家族思いだったというのである。」というものです。そして、広田弘毅を研究してみると、あれれと違和感を持たれるようになったそうです。
 
 いわゆるA級戦犯となったような人だから、悪い人なんだと戦後歴史教育では学校で教えられているかもしれませんが、広田弘毅も懸命に戦争を回避するため取り組んでいたことがこの本を読むとわかります。世界を侵略してやろうなどとは一切考えていません。

 しかし、時々の判断に問題があり、日本を外交で間違った方向に導いてしまった責任を持つ一人です。その判断も、いい加減にしたというものではなく、熟慮の上での判断です。

 彼が天羽声明、華北分離工作、盧溝橋事件、南京事件の対応、近衛声明時の外務大臣などで間違った判断をすることになります。筆者が広田弘毅を研究してこれらの広田の判断について、「広田はむしろ軍部に抵抗する姿勢が弱く、部下の掌握もできずにおり、そしてポピュリズムに流されがちであった。」と述べています。

 この本に書かれている「時代の先行きがみえなくなったとき、ともすると人心はカリスマ的な指導者を待望し、軍事力による国威の発揚を求める。」は、広田弘毅の時代のことですが、今の時代に日本だけでなく、世界各国でも言えることだと思います。そして、「国民に祭り上げられた指導者もまた、脆い政治基盤と責任感のなさから大衆に迎合しがちとなる。だが、強硬策によって政権を維持したとしても、それは一過性のものにすぎない。やがてそのつけは、政府だけでなく国民にも重くのしかかっていく。」と書かれていることは、現在の私達も歴史から学ばなければなりません。

 広田は、高揚する世論になびいてしまいました。国民は、「非常時であるほど長期的な見通しよりも感情に流されがちである。」と書かれています。このような国民に対して、政治家は国民に媚びるのではなく、国民を無視してでも真の国益を追求して欲しいものです。この政治家の姿勢について筆者は世論が感情的になっているとき、「外交指導者は、勇気を持ってポピュリズムや世論から距離を保たねばならない。」と述べています。

 広田弘毅は、外交で強い意志もなく、日中戦争を長期化する原因も作ってしまいました。しかし、国民を不幸にしようとしていたのではありません。彼も必死に外交で国益を追求したことだと思います。私達国民も政治に対して、感情に流されることなく政治に対して、冷静に見ることが出来るようにならないと感じました。










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2015.05.25 Mon l l コメント (0) l top

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